70年代、1曲大作主義の楽曲を中心にプログレッシブロックの雄として一世を風靡したYES。しかしアルバムごとにメンバーチェンジを繰り返し、結局最後はバンドの顔でもあったヴォ-カルのJon Andersonも脱退してしまい、
急場しのぎに「ラジオスターの悲劇」のヒットで知られるバグルズのTrevor Horn、Jeffly Downsをメンバーに迎え、アルバム「ドラマ」を発表するも、バンドはその後空中分解し、結局解散の道を辿ってしまいました。
が、しかし...ロック史に偉大な功績を残したYESの歴史は終わりませんでした。
1981年、残されたYESのオリジナルメンバー Chris Squire(Bass)を中心に、南アフリカはヨハネスブルグ出身の、当時才能溢れる新鋭ギタリストとして注目を集めていたTrevor Ravinを加え、ニューバンド「CINEMA」なるグループをスタートさせたのがそもそものきっかけとなり、
やがてそのプロジェクトに元ヴォ-カルのJonAndersonが加わり、さらにはYES初期のキーボードプレーヤーだったTony Kaye(トニ-ケイです。谷啓と読まないでください)までが合流し、プロデューサーにトレヴァ-.ホーンを迎え、奇跡のYES再結成が実現したのです。
この復活盤、まず驚かされたのが"楽曲のコンパクト化"です。かつてはLPの片面すべてを使っての20分近い大作曲が多く比重を占めていたのですが、本作では全9曲すべてが4分から7分程度の楽曲に仕上げられており、
かつてのドラマチックでプログレっぽい雰囲気は残しつつも、大胆かつ斬新なアレンジな味付けで、よりタイトにリズムを強調したハードサウンドを展開している点です。この路線変更は70年代後期の作品からも序々に見受けられはしていましたが、まさかここまで変貌してしまうとは!
なんといっても、音の仕掛人トレヴァ-.ホーンと新加入のギタリストトレヴァ-.ラヴィンのW(ダブル)トレヴァ-の存在なしでは、このアルバムの成功はまず無かったと言えるでしょう。
特にトレヴァ-.ラヴィンの活躍ぶりは、バンドに新しい息吹を注入し、すべての面において大変革をもたらしました。全曲においてソングライティングに関わっている点も見逃せません。
やはり本作の前年に元YESの看板ギタリストだったスティーブ.ハウが参加し、空前の大ヒットをおさめたバンド、ASIA~エイジアを意識してのイメチェンだったのでしょうか?
いずれにせよ復活YESは世界規模での大成功をおさめ、アルバムとともにシングル「Owner Of A Lonely Heart」も大ヒット、アメリカではビルボードチャート84年1月に2週連続No1となり、それまであまりシングルヒットとは縁の無かったYESにとって、最大のヒット曲となりました。
なお、アルバムタイトル原題の"90125"とは、ただ単にレコードの製造企画番号からとっただけのものです。
最後にまったくの余談ですが、本作のリリースに合わせてワールドツアーを敢行した復活YESですが、新加入メンバーのTrevor Rabinの国籍が南アフリカの白人という理由から、当時人種隔離政策に異論を唱えていたいくつかの国々で入国ビザが認められず、ライブが中止になったという事件がありました。
なんと日本もそのひとつだったらしいですね。しかし1988年には、新作"BIG GENERATOR"と合わせて待望の来日公演が実現しました。
アーティスト YES / イエス
タイトル 90125 / ロンリー.ハート
リリース 1983
レーベル ATCO