「文人墨客(ぶんじんぼっかく)」とは、文字通り「文人」と「墨客」の二つの語から成る四字熟語で、詩や文章、書画といった風雅な芸術に携わる人々全般を指す言葉です。古来より文学と書画の素養を備えた風流人を称える表現として用いられてきました。この記事では、「文人」「墨客」それぞれの意味や両者の違いをやさしく解説し、江戸時代から現代にかけての代表的な文人・墨客について紹介します。
- 文人墨客とは?その意味と違い
- 文人の意味
- 墨客の意味
- 文人と墨客の違い
- 代表的な文人・墨客の紹介
- 江戸時代の代表的な文人
- 江戸時代の代表的な墨客
- 江戸時代以降の代表的な文人
- 江戸時代以降の代表的な墨客
文人墨客とは?その意味と違い
文人の意味
「文人(ぶんじん)」とは、詩文や書画などの風雅な道に心を寄せる人のことです。もともと中国に由来する概念で、学問や文学に通じた知識人を指しましたが、日本においても和歌・漢詩・俳諧などの文学や、書や絵画といった芸術をたしなむ文化人を広く意味します。
江戸時代には、儒学(漢学)や和歌に秀でた学者たちが自ら詩を書き、書画を愛好しましたが、そうした人々は当時「文人」と見做されました。要するに文人とは、文章を書くことや芸術的な教養を身につけた人を指す称号といえます。
墨客の意味
一方、「墨客(ぼっかく / ぼっきゃく)」とは、書画をよくする人、すなわち筆墨を使った芸術(書道や絵画)に秀でた人のことです。「墨客」の「墨」は墨(すみ、インク)による書や絵を意味し、「客」は雅客(風流人)を表します。
古い辞書には「文墨をよくする人。書画を書く人」とあり、筆で書や絵を描くことに長じた風流人という意味になります。つまり書家や画家など、墨を用いた芸術分野で活躍する人物を指す語が「墨客」です。
文人と墨客の違い
「文人」と「墨客」はともに風雅を愛する人を指す点で共通していますが、その関心領域に違いがあります。
「文人」は詩文や書画などに広く親しみ詳しい人であるのに対し、「墨客」は書画を専門にする人、書や絵に秀でた人(書家・画家)だとされています。
簡単に言えば、文人は主に文章や詩など"言葉"の芸術をたしなむ人であり、墨客は主に筆墨による"視覚芸術"を専門とする人という違いがあります。ただし実際の歴史上は、文人が書画に通じることも多く、墨客が詩文を嗜むこともありました。そのため両者はしばしば重なり合い、「文人墨客」とまとめて語られるのです。
江戸時代の俳人松尾芭蕉(1644~1694)は、自ら絵を描くことは多くありませんでしたが優れた俳諧の文章を残したため、文学の人=文人の代表格と言えるでしょう。
一方、俳人でもあった与謝蕪村(1716~1784)は書画にも秀でたことで知られ、俳人・文人・画家という三つの顔を持つ人物でした。
このように芭蕉と蕪村を比べると、芭蕉は主に文筆の人(文人)、蕪村は文筆に加えて絵画の才も持つため墨客的側面もある人物と位置づけられます。歴史的な解釈では、芭蕉は典型的な文人、蕪村は文人画家(文人でもあり画家でもある人)として評価されることが多いと言えるでしょう。
代表的な文人・墨客の紹介
江戸時代の代表的な文人
江戸時代には、中国文化に憧れ漢詩や書を嗜む文人たちが各地で活躍しました。代表的な人物としては、俳諧の世界で高名な松尾芭蕉が挙げられます。

芭蕉は江戸前期の俳人で、『奥の細道』などの紀行文や数多くの俳句を残し、風雅の精神を体現しました。また、儒学者でありながら詩文にも優れた新井白石(1657~1725)や荻生徂徠(1666~1728)も文人に数えられます。彼らは幕府の政策に関わる傍ら漢詩や随筆を書き、学問と文学の両面で才能を発揮しました。
江戸後期には漢詩人・歴史家の頼山陽(1780~1832)のように、官職に就かず著述や詩作によって文化的名声を博した文人も現れました。
総じて江戸時代の文人たちは、学識を背景に詩文や書画を嗜み、文雅(ぶんが)なサロン文化を形成した点が特徴です。
江戸時代の代表的な墨客

江戸時代には、筆墨を操る巧みな墨客たちも多く輩出されました。なかでも著名なのが与謝蕪村です。蕪村は先述のとおり俳人であると同時に画家としても一流で、江戸中期を代表する文人画家でした。彼は同じく絵画に秀でた池大雅(1723~1776)と交流し、合作「十便十宜帖」を残しています。
池大雅は江戸中期の画家であり、文人画(南画)の確立者とも評される人物で、幼少より書と画に秀で多才な芸術家でした。蕪村と大雅はいずれも漢詩や書に通じた画人であり、詩情あふれる水墨画を多数描いて日本における文人画(南画)を大成させました。
谷文晁(1763~1841)もまた、江戸時代を代表する墨客です。彼は幕府の御家人にして、画家としても名を馳せた人物であり、松平定信の側近として文教政策にも関わりました。狩野派の技法を基礎としつつ、中国や西洋の画風も取り入れ、多様な表現を追求した点が特徴です。
特に山水画においては、写実性と詩的情緒を巧みに融合させ、文人画の一つの到達点を示したと評価されています。また、多くの弟子を育てたことでも知られ、その中には後に名を成す渡辺華山の姿もあります。
その他、江戸後期の武士画家渡辺華山(1793~1841)や、南画を学んだ田能村竹田(1777~1835)なども、自ら漢詩文を嗜みつつ優れた絵画作品を残した墨客として知られます。華山は文晁に学んだ技術を土台に、蘭学の知識や写実的表現を融合させた独自の画風を確立しました。竹田もまた詩情豊かな作品で知られ、南画の世界に独自の美を打ち立てました。
江戸時代以降の代表的な文人
明治以降の近代日本においても、伝統的な文人の素養を持つ人物が活躍しました。例えば森鴎外(1862~1922)は陸軍軍医の傍ら小説家・評論家として著名ですが、漢詩や漢文にも通じており書もよくしました。鴎外は晩年に漢詩集を残すなど、近代における文人的な素養を備えた文学者と言えます。
また永井荷風(1879~1959)は小説家として有名ですが、江戸趣味を愛し古典的な文体の日記を著すなど風流を好んだ点で現代の文人と呼ばれることがあります。
さらに明治・大正期の画家富岡鉄斎(1837~1924)は書画に加え幅広い学問に通じ、「最後の文人」とも称えられる人物です。鉄斎は漢学や仏教思想を修めたうえで南画を極めたため、その書画作品には深い教養が反映されています。
昭和以降も、作家の谷崎潤一郎や吉川英治のように茶の湯や書画に通じた文化人が現れましたが、近代以降は次第に「文人」という言葉は伝統的教養人を指す美称として用いられることが多くなりました。
「文人」であること自体が一種の趣味人・文化人として尊ばれるようになり、現代でも書画や漢詩をたしなむ作家や知識人に対して敬意を込めて使われることがあります。
江戸時代以降の代表的な墨客
近代以降も、墨の芸術に秀でた墨客が活躍しています。さきほどご紹介した富岡鉄斎が代表的存在です。鉄斎は幕末から明治にかけて生きた画家で、儒学や国学、仏教など諸学に通じた深い教養を背景に独自の画境を開きました。
彼の作品は伝統的な南画の技法に支えられつつも大胆で自由闊達な表現が特徴で、生前から国内外で高い評価を受けました。鉄斎のように近代以降の墨客は、単に絵を描くだけでなく古典文化への造詣を持ち合わせている点で文人の風格を備えています。
また明治期の書家日下部鳴鶴(1838~1922)や中林梧竹(1827~1913)は書の大家として名高く、自作の漢詩を揮毫(きごう)するなど墨客として活躍しました。現代では伝統的な書画の分野は専門家が担うようになりましたが、篆刻(てんこく)や書道の世界では趣味的に文人墨客が自ら石に印を刻むといった文化も伝わっています。
このように、時代を超えて文字と墨による芸術を愛する人々が存在し続けていることが、「文人墨客」という言葉からもうかがえるでしょう。
文人と墨客の違い・まとめ
「文人墨客」という言葉は、「文学(文)と芸術(墨)」の双方に親しんだ教養人を意味し、その伝統は江戸時代から現代まで脈々と受け継がれてきました。
文人は主に筆による詩歌や文章の才能を持つ人、墨客は主に筆墨による書画の才能を持つ人ですが、歴史上はその境界は柔軟で、多くの人物が両方の素質を兼ね備えています。
古今東西の文人墨客たちが残した詩文や作品は、日本文化の豊かさを今に伝えており、私たちも彼らの風雅な世界に思いを馳せることで、新たな発見や趣きを感じられるかもしれません。
- 文人墨客は文人と墨客を合わせた言葉
- 文人は詩文や文学を得意とする
- 墨客は書画を専門とする人
- 文人は言葉の芸術、墨客は視覚芸術
- 松尾芭蕉は文人の代表格
- 与謝蕪村は文人かつ墨客の側面も
- 江戸時代は漢詩や書を嗜む文人が活躍
- 蕪村と池大雅は日本の文人画を大成
- 富岡鉄斎は「最後の文人」と称される
- 森鴎外は近代における文人の代表例
- 文人墨客の伝統は現代まで継承