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郡評論争(ぐんぴょうろんそう)とは?

改新の詔に関する日本書紀の記述をめぐり論争が起こりました。この論争を郡評論争(ぐんぴょうろんそう)と言いますが、どのような点が争点となったのでしょうか?

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720年に編纂された「日本書紀」は、神話の時代から697年までの期間の日本の歴史を綴った日本最古の正史です。

その「日本書紀」の中に「改新の詔」に関する記述があり、大化の改新で国と郡(こおり)という行政区画を定めたと説明しているのです。

しかし、各地で発見されている金石文(きんせきぶん)には「郡」という文字は見られず、「評(こおり)」という文字が使用されています。

金石文とは金属や石などに記された文字のことをいいます。このことから「日本書紀」の信用性をめぐり論争が展開されました。

1967年藤原宮跡から大化の改新当時の木簡が大量に発見されそこに「評」の文字が記されていたのです。これにより701年の大宝律令以前の行政区画は「評」であり、大宝律令以後に「郡」となったことが確実になります。

大化の改新で郡が定められたとする「日本書紀」の記述は誤りである可能性が高くなり、「改新の詔」の内容や「日本書紀」そのものの信憑性に疑問が持たれるきっかけとなりました。