蝦夷(えみし)対策として設置された柵と3度遠征して蝦夷を討伐した武将は?
大和政権は、647年と648年に蝦夷(えみし)対策として柵を設置しました。さらに658年から3度にわたり武将を派遣して蝦夷を討伐します。柵の名前と武将の名前を答えてください。
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渟足柵(ぬたりのさく・ぬたりのき)、磐舟柵(いわふねさく・いわふねのき)、阿倍比羅夫(あべのひらふ)です。
天皇を中心とする中央集権国家を目指す大和政権は、勢力を拡大すべく奥羽に侵攻します。現在の新潟県付近に647年に渟足柵、648年磐舟柵を設置します。
また、大和政権の武将阿倍比羅夫が水軍180隻を率いて秋田や津軽など日本海側の蝦夷を討伐したことが「日本書紀」に記されています。
阿倍比羅夫の遠征は3度行われ、粛慎(みしはせ)と呼ばれる種族を従属させたとされています。粛慎がどこの種族が定かではありませんが、北海道のアイヌ民族だとする見解もあります。