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唐・新羅の攻撃に備えて大宰府に造られた堀と土塁は?

朝鮮半島で行われた海戦において、唐・新羅連合軍に大敗した大和政権は、侵攻に備え大宰府に大規模な土塁を作りました。この土塁を何と呼んでいますか?

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水城(みずき)です。

唐・新羅連合軍の侵攻に備えるため、中大兄皇子は九州の防衛を強化します。壱岐、対馬、筑紫など北九州に烽(ほう・のろし)を設置して、防人(さきもり)に海岸線を警固させます。

特に大宰府、博多湾の防衛ラインに重点を置き、大宰府に全長1,2キロにもおよぶ土塁とその外側に水濠を造りました。これが水城です。

また、大宰府の北方に大野城(おおのじょう)、南方に基肄城(きいじょう)を築いたのです。

これらの城は山城や朝鮮式山城と呼ばれ、百済から亡命してきた人々の築城技術が使われたと考えられています。