1587年豊臣秀吉に討伐された九州の戦国大名は?
豊臣秀吉は、惣無事令(そうぶじれい)に従わなかったことを理由に九州の戦国大名を討伐しました。この大名の名前を答えてください。
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島津義久(しまづよしひさ)です。
鎌倉時代以降、薩摩、大隅など南九州で勢力を保持していた島津氏は、戦国時代になると島津義久を中心に兄弟(島津四兄弟)が団結して領土を拡張していきます。
豊臣秀吉は大名間の私闘を禁じた惣無事令を九州全域に発令しますが、島津氏はこれを無視して北九州に侵攻しました。秀吉は25万の大軍を率いて九州に上陸すると、島津氏の城を次々に攻略します。
秀吉の圧倒的な武力に抗しきれなくなった義久は頭を丸めて降伏しました。最後まで抵抗を続けていた義久の弟義弘(よしひろ)も降伏して島津討伐は終了します。島津氏は薩摩国と大隅国を安堵されます。