北条氏政(ほうじょううじまさ)、北条氏直(ほうじょううじなお)です。
北条早雲ー氏綱ー氏康ー氏政ー氏直と5代にわたり関東に勢力を築いた一族が北条氏です。鎌倉幕府の執権北条氏と区別するため後北条氏と呼ばれることもあります。
北条氏は上野国沼田領・吾妻領を巡り真田氏と争っていました。秀吉が裁定を下し和解しますが、北条氏はこれを破り名胡桃城を奪ったため秀吉によって討伐されることになります。
20万を超える秀吉の軍勢に防衛ラインを突破され、城を次々落とされた氏直と氏政は小田原城を開城して降伏しました。氏政は切腹、氏直は高野山に追放されたのち1万石の大名として北条家を再興しますが、翌年に病没ました。