聚楽第(じゅらくだい、じゅらくてい)、後陽成天皇(ごようぜいてんのう)です。
1585年関白に就任した豊臣秀吉が邸宅兼政庁として築城した城が聚楽第です。1586年から築城が開始され、翌年に完成したといわれています。
1588年には後陽成天皇を招き、自らの権威を高めました。関白職を甥の豊臣秀次に譲ると、聚楽第は秀次の邸宅となりますが、1595年に起こった秀次切腹事件により破却されます。
聚楽第はわずか8年しか存在しておらず、秀吉により徹底的に破壊されてしまったので、謎の多い城となっています。「聚楽第行幸図屏風」など、いくつかの絵図や史料によってその姿を知ることができます。