豊臣秀吉が朝鮮出兵の拠点とした肥前国の城は?
豊臣秀吉は朝鮮への侵攻を決断すると、拠点となるべき城を肥前国に築城します。この城の名前を答えてください。
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名護屋城(なごやじょう)です。
明征服の野望を抱く豊臣秀吉は、朝鮮国王に対し明への先導を依頼しますが、これを断られると朝鮮を攻めるべく準備にとりかかります。
朝鮮半島に近い肥前国に名護屋城を築き補給基地としたのです。五層七重の天守を持つ名護屋城は広大な面積を有し、出兵する諸大名の陣屋が立ち並ぶ大都市へと発展します。城下には20万を超える人々が居住したとされます。
1598年秀吉の死去によって朝鮮からの撤退が決まります。全国から集まっていた諸大名も領国に引き上げたため、町は急速に寂れ名護屋城は廃城となりました。