1600年に起きた天下分け目の戦いは?
1598年豊臣秀吉が死去すると、豊臣政権下の戦国武将たちが東西両陣営に分かれて戦いを行います。この合戦の名称を答えてください。
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関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)です。
豊臣政権内の権力争いによって徳川家康を中心とする東軍と、石田三成を中心とする西軍に分かれ合戦となります。
東西合わせて16万を超える軍勢が美濃国の関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)に集結して戦いの火蓋が切られました。
両軍とも互角の戦いを展開しますが、家康の調略により西軍の一部は戦いに参加せず、さらに小早川秀秋が裏切り東軍についたことで勝敗が決します。
敗れた石田三成、小西行長、安国寺恵瓊は捕縛され六条河原で斬首となりました。関ヶ原の戦いで反家康派が一掃されたことにより、豊臣政権内での家康の地位は盤石なものとなりました。