大岡忠相(おおおかただすけ)です。
旗本 大岡忠高の四男として誕生した大岡忠相は、大岡忠真の養子となり遠国奉行(山田奉行)を経て、徳川吉宗の治世に江戸南町奉行に就任しました。
大岡忠相は、町火消の整備や小石川養生所を開設するなど、庶民の生活を改善するための政策を実施しました。また、青木昆陽(あおきこんよう)を書物奉行に登用しています。
青木昆陽の研究によりサツマイモの栽培が全国に広まり、飢饉では多くの人命を救いました。
大岡忠相は、およそ20年間町奉行をつとめたのち、寺社奉行に昇進します。最終的には1万石まで加増され大名となり、西大平藩(にしおおひらはん)の藩祖となりました。