幕府が武家伝奏を処罰した事件は?
光格天皇の要請を松平定信が拒否し、幕府が武家伝奏(ぶけてんそう)を処罰した事件の名称を答えてください。
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尊号一件(そんごういっけん)です。
事件が起きたときの天皇は第119代光格天皇(こうかくてんのう)です。
第118代後桃園天皇(ごももぞのてんのう)は跡継ぎの男子に恵まれず22歳で崩御します。閑院宮家(かんいんのみやけ)から養子を迎え光格天皇が即位しました。
1789年光格天皇は父閑院宮典仁親王(かんいんのみやすけひとしんのう)に太上天皇(だいじょうてんのう)の尊号を贈ることを幕府に打診しますが、松平定信はこれを拒否しました。
太上天皇は皇位を譲った天皇に贈られる尊号です。
光格天皇は皇位に就くことができなかった父閑院宮典仁親王に太上天皇の尊号を贈ろうとしますが、松平定信はこの申し出を拒否しました。
光格天皇は武家伝奏を通じて再度要請をしますが、松平定信は「君臣の名分を私情によって動かすべきでない」と述べ断固拒否します。
数年に渡り執拗に迫る朝廷に対し、幕府は武家伝奏2名を処罰する強硬策にでました。武家伝奏は朝廷の役職のひとつで、朝廷と武家の連絡役です。
幕府の強い態度に朝廷はついに断念しますが、この尊号一件により朝廷と幕府の間に大きな遺恨が残りました。