プチャーチンです。
プチャーチンはロシアの軍人、外交官でロシア極東艦隊司令長官です。
ロシアはこれまでラクスマン、レザノフを送り日本との通商を求めてきましたが、すべて幕府に拒否されています。
そのような状況下でペリーが日本に向かうとの情報を得たロシアは、アメリカに先を越されまいとプチャーチンを送ったのです。
しかし、日本への到着はペリーよりも約ひと月遅れでした。
プチャーチンは長崎で幕府と交渉を行いますが、12代将軍徳川家慶の死去で頓挫し、いったん日本を去ります。
その後、日本を複数回訪れたプチャーチンは1855年に日露和親条約、1858年には日露修好通商条約を締結しました。