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1083年出羽の清原氏の内紛から起こった争乱は?

1083年清原武貞(きよはらたけさだ)の死後に内紛が起こり争乱へと発展しました。この争乱を何と呼んでいますか?

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後三年の役(ごさんねんのえき)です。

前九年の役で源頼義を助けた清原武則(きよはらたけのり)は奥六郡を与えられ鎮守府将軍に任命されました。

出羽と陸奥を支配した清原氏は武則と子の武貞の代に繁栄を極めます。しかし、武貞が死去すると三人の子(真衡、清衡、家衡)の間で内紛が起こり、その内紛に源義家が介入したことで争乱へと発展しました。

この内紛で勝ち残った藤原清衡(ふじわらのきよひら)が奥六郡を治め奥州藤原氏の基礎を築いたのです。