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平安時代の滝口の武士、北面の武士、鎌倉時代の西面の武士の役割は?

武士が政界に進出する足掛かりとなった滝口の武士北面の武士、西面の武士のそれぞれの役割や違いについて答えてください。

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■滝口の武士(たきぐちのぶし)・・・9世紀末 宇多天皇によって設置。天皇の護衛、宮中の警備を担当した武士で10名~30名で構成。主に武士団の棟梁が任命された。

■北面の武士(ほくめんのぶし)・・・11世紀末 白河上皇によって設置。治天の君(上皇、法皇)の護衛、院の警備を担当した武士で院の直属軍。腕に覚えのある貴族や武士が任命された。最盛期は1,000名以上の兵力があったとされています。

■西面の武士(さいめんのぶし)・・・13世紀初頭 後鳥羽上皇によって設置。職務は北面の武士と同じで院の直属軍。院の武力を増強する目的で新設されました。主に西国、在京の御家人で構成され兵力は不明。鎌倉幕府との戦い(承久の乱)では、北面、西面ともに朝廷方として戦いますが敗北。乱後に西面の武士は廃止されました。