鹿子木荘寄進の経緯を記した文書は?
寄進地系荘園の代表的な例とされる鹿子木荘ですが、この鹿子木荘寄進の経緯はそれを記録した文書が残されていたため現在に伝わりました。この文書の名称を答えてください。
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東寺百合文書・鹿子木荘条々事書(とうじひゃくごうぶんしょ・かのこぎのしょうじょうじょうごとしょ)です。
東寺には奈良時代から江戸時代の文書が多数保存されていました。江戸時代の4代加賀藩主 前田綱紀(まえだつなのり)は東寺に残されていた文書を保管するための費用を寄進して文書の保存、管理に貢献します。
このとき整備された東寺の文書およそ3万通の総称が東寺百合文書と呼ばれ、その中のひとつが鹿子木荘寄進の経緯を記した「鹿子木荘条々事書」です。
鹿子木荘の本家であった高陽院内親王が14歳で夭折すると鹿子木荘の所有を巡り争いが展開されます。
東寺もその争いの渦中にいたため、この「鹿子木荘条々事書」は東寺の立場を主張した内容になっています。*東寺百合文書は京都府立総合資料館所蔵となっています。