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田堵(たと)、名主(みょうしゅ)の収入源は?

班田制の崩壊以降、税の徴収に重要な役割を担った田堵(名主)ですが、彼らの収入源にはどのようなものがあったのでしょうか?

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田堵(名主)の収入源としてあげられるのは私出挙、加地子、免田です。

■私出挙(しすいこ)・・・田堵は地方豪族から派生した人たちです。農民ですが一般の農民と違い富を蓄えていた富農です。生活に余裕があるため貧しい農民に稲を貸しつけて利息を取っていました。これを私出挙といいます。

■加地子(かじし)・・・農民が国司や荘園領主に納める年貢を地子といいます。名田の運営を任された田堵(名主)は、農民から年貢(地子)を徴収して国司や荘園領主に納める義務を負いました。農民が年貢を払えないときは自分で負担する重い責任があります。そのかわりに農民から地子とは別に加地子と呼ばれる得分を取ることが認められていました。

■免田(めんでん)・・・国司や荘園領主から許可を受けた免田(租税が免除された田)を経営して収入を得ました。