1177年に起きた平氏打倒の企ては?
1177年後白河法皇の近臣たちが起こした平氏打倒の企てを何と呼んでいますか?
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繁栄する平家一門に危機感を抱いた後白河法皇の近臣たちが、鹿ケ谷にあった俊寛の屋敷に集まり平家打倒の謀議を重ねていたことが発覚します。
この謀議の中心人物 藤原成親は平氏とも親しかったことから(成親の妹が重盛の正室)平氏一門にも動揺が広がりました。
清盛は事件に加わった者たちを厳しく処分します。藤原成親は備前国に配流となったのちに平氏によって殺害、西光は斬首、俊寛、藤原成経、平康頼は鬼会ヶ島へ流罪となりました。
この事件後、成親と姻戚関係を結んでいた重盛の地位が低下し、かわって異母弟である宗盛が一門の中で台頭してきました。
後白河法皇と清盛の間に入りクッションの役割を果たしていた重盛の失脚により、法皇と清盛の対立が激化して以仁王、源頼政の挙兵へとつながっていくのです。