義仲追討の院宣を得て京に侵攻した源氏の武将は?
1183年義仲追討の院宣を得た源頼朝は、京に軍を派遣します。この軍勢を率いた源氏の武将二人の名前を答えてください。
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源範頼(みなもとののりより)と源義経(みなもとのよしつね)です。
範頼と義経は頼朝の母違いの弟です。
倶利伽羅峠の戦いで平家の大軍を破り入京した源義仲は、後白河法皇より征夷大将軍に任命されます。京の治安を任された義仲ですが、兵糧不足により配下の兵が略奪や乱暴狼藉を行い人望を失っていきました。
後白河法皇は頼朝に義仲追討の院宣を発し上洛を促します。頼朝は範頼と義経に軍勢を与え兵を進めると、これを迎え撃つ義仲軍との間で戦闘が行われました。宇治川の戦いで勝利した頼朝軍は、続く粟津の戦いでも勝ち、義仲は矢で射られて討死しました。
源義仲は朝日将軍とも呼ばれています。これは、日の出の勢いで京まで進軍して平家を追い出したことに由来するといわれています。入京時には朝廷や京の人々から歓迎された義仲ですが、短期間で信用を失い最期は非業の死を遂げました。