1189年奥州藤原氏が滅亡した戦いは?
1189年源頼朝率いる鎌倉軍と奥州藤原氏が戦った合戦の名称を答えてください。
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奥州合戦(おうしゅうかっせん)です。
頼朝の追討から逃れ奥州に戻ってきた義経を藤原秀衡は匿いますが、その秀衡が1187年11月に亡くなります。
正室の子であった二男 泰衡が4代当主となりますが、頼朝は泰衡にプレッシャーをかけて義経の身柄を引き渡すよう要求します。
頼朝の圧力に抗しけれなくなった泰衡は衣川館に居た義経主従を攻撃して自害に追い込んだのです。
武家政権の確立を目指す頼朝にとって奥州に独立した勢力を築いていた藤原氏は目の上のこぶであり、初めから許すつもりはありませんでした。
奥州征伐を決めた頼朝は自ら大軍勢を率いて東上します。頼朝の大軍に防衛ラインを次々突破された泰衡は、逃亡の途中で家臣の裏切りにあい殺害されました。
頼朝は鎌倉を出発してからわずか1か月半ほどで奥州藤原氏を滅ぼしたのです。