蒙古が襲来したときの鎌倉幕府執権は?
1274年文永の役と1281年弘安の役において幕府を指揮した8代執権は誰でしょうか?
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北条時宗(ほうじょうときむね)です。
北条時宗は5代執権北条時頼(ほうじょうときより)の嫡男です。
蒙古襲来に備え7代執権であった北条政村を連署にして、自ら8代執権となり体制強化をはかります。
異国警固番役、長門警固番役を設置して海岸線の警備を強化し、元軍の上陸を阻むための石塁を築きました。
九州の防備を固めたことで元軍の撃退に成功します。防衛のため九州の御家人の統率を強化したことで、北条一門の影響力が九州一円にもおよぶようになり、得宗による専制が強まることになったのです。
時宗は弘安の役から3年後の1284年に33歳で病死しました。