会津戦争で新政府軍と戦った会津藩の居城は?
北越戦争で勝利した新政府軍を迎え撃った会津藩の居城の名称を答えてください。
答えはこちら
会津若松城(あいづわかまつじょう)または鶴ヶ城(つるがじょう)です。
東北地方に進行した新政府軍は当初兵力不足もあり苦戦しますが、兵力の増員、物資の補給を行い戦いを有利に進めます。
長岡城を落とし北越を制圧した新政府軍は大挙して会津藩領に進行しました。
迎え撃つ会津藩では各地に兵力を分散していたため、会津への侵入ルートすべてに十分な兵力をさくことができず、手薄な母成峠を突破され城下へ侵攻されました。
新政府軍の侵攻があまりにも早かったため、城内に入ることができなかった藩士とその家族が自害するという悲劇を招きます(西郷頼母一族自害など)
会津若松城に籠城した会津藩は新政府軍の砲撃を受けるも1ヶ月もの間戦い抜きます。最後は藩主 松平容保(まつだいらかたもり)が降伏を決断して会津戦争は終わりました。