1871年琉球王国の漁民が漂着した台湾で殺害される事件が起きました。この事件を機に起きた日本の派兵は?
1871年琉球王国の漁民66名が漂流し台湾に流れ着きますが、その多くが台湾の先住民に殺害されました。この事件を機に起きた日本の派兵を何と呼んでいますか?
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台湾出兵(たいわんしゅっぺい)です。
1871年琉球王国宮古島の漁民66名が台風に遭遇し台湾に漂着しました。しかし、台湾先住民は彼らを敵と見なし54名を殺害します。
明治政府は清国に賠償を求めますが、台湾先住民の統治は「管轄外」だと主張する清国は賠償を拒否しました。
政府内では薩摩閥を中心に征討の声があがりますが、反対派の巻き返しなどもあり膠着状態となります。
しかし、1874年西郷隆盛の弟西郷従道(さいごうじゅうどう)が3千の兵を率いて独断で出兵に踏み切りました。
大久保利通(おおくぼとしみち)が全権となり清国と交渉を行った結果、賠償金50万両を獲得したことで撤兵となりました。