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松方正義の政策(松方デフレ)と寄生地主について説明してください。

大蔵卿松方正義(まつかたまさよし)の政策(松方デフレ)と寄生地主の出現について説明してください。

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明治政府は1871年の新貨条例で江戸時代の三貨を廃止して円・銭・厘を単位とする新しい通貨制度を整備しました。

1872年の国立銀行条例(こくりつぎんこうじょうれい)で民間の銀行に紙幣の発行を許可しますが、兌換を義務付けたため銀行の経営は苦しくなります。

政府は1876年に国立銀行条例を改正して兌換の義務を撤廃しました。これにより全国で153もの銀行が設立されますが、必要以上の不換紙幣を発行したことで紙幣の価値が下落してインフレを起こすことになったのです。

紙幣の価値が下落すると物価は上がります。今まで1,000円で買えたものが1,200円とか1,500円になる訳です。

紙幣過剰=紙幣の価値が下がる=物価が上がる

政府の財源は地租ですが、地租は金納(お金で納める)なので、紙幣の価値が下がれば財政は苦しくなります。

明治14年の政変で大隈重信が政府から追放され大蔵卿に松方正義が就任しました。

財政再建に着手した松方は増税の実施と軍事費以外の支出の削減(緊縮財政)を行い、増えた税収分を不換紙幣の回収(紙幣整理)にあてたのです。

さらに、銀行に認めていた紙幣発行権を奪い、中央銀行である日本銀行だけが発行できるよう制度を整えました。

不換紙幣を回収したことでインフレは解消されましたが、今度は市場に供給される紙幣が不足してデフレが進行しました。デフレは物価の下落を意味します。

紙幣の価値が上がることで1,000円の物が800円とか500円で買えるようになる訳です。

紙幣不足=紙幣の価値が上がる=物価が下がる

ここで大きな問題が起こります。米の値段が下がったことで農民の収入が大幅に減少してしまったのです。

江戸時代の農民の年貢(税金)は米の現物納ですが、明治になると地価の3%を現金で納める定額金納になりました(地租改正)

税金を払えない農民は土地を売却して小作農へと没落し、裕福な者は土地を買い集め大地主になります。

大地主は小作農(小作人)に土地を貸し、収穫物の一部を小作料として徴収しました。

自ら農作業には従事せず、小作料だけで生計を立てる大地主が現れ、彼らは寄生地主(きせいじぬし)と呼ばれたのです。

寄生地主の中には小作人にお金を融資して高額の利息を取る者もいて貧富の差がより拡大していきました。

政府に不満を持つ農民たちは自由民権運動に傾倒し、運動がより過激化していくことになります。

一方で、寄生地主の豊富な資金が商工業に投資され、資本主義経済を形成していったという側面もあります。

松方デフレと寄生地主の出現