1894年朝鮮で起きた民衆の反乱は?
1894年朝鮮国内で宗教団体と農民による大規模な反乱が起きました。この反乱の名称を答えてください。
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甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう)もしくは東学党の乱(とうがくとうのらん)です。
東学とは反日、反西洋を唱える朝鮮の民族的な宗教団体です。
朝鮮では1882年に壬午事変、1884年には甲申事変が起き国内の政治は混乱していました。農民の生活は苦しく政府に対する不満がくすぶっていたのです。
1894年朝鮮南部の全羅道で、役人の不正をきっかけに農民の反乱が勃発します。
この反乱の主導者が東学の幹部 全琫準(ぜんほうじゅん)であったことから、東学の信者を中心に各地に広まり、やがて大規模な農民反乱となりました。
反乱を鎮圧できない朝鮮政府は清に軍の派遣を要請します。
清は天津条約に基づき日本に通知をして出兵すると、日本政府も朝鮮への派兵を決断します。
日本軍と清軍の進出に驚いた農民軍は朝鮮政府と和解しますが、朝鮮への影響力を強めたい日清両国は兵をひかず、やがて日清戦争へと突入しました。