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1351年に行われた南北朝の一時的な合一とは?

1351年足利尊氏は南朝に和睦を申し入れ一時的に南北朝が合一します。この合一を何と呼んでいるでしょう?

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正平の一統(しょうへいのいっとう)です。幕府内の権力闘争で足利尊氏と直義兄弟は袂を分かちますが、1350年高師直が殺害されたことで和解します。しかし、翌年になると再び対立が生じます。尊氏は直義勢力を駆逐するため敵対していた南朝に和睦を申し入れたのです。その結果北朝の崇光天皇と皇太子直仁親王が廃され、北朝の元号であった「観応」にかわり南朝の元号「正平」が使用されることになりました。南北朝は一時的に合一されますが、翌年に直義が急死すると尊氏は合一を破棄し南朝勢力を京から追い出し、後光厳天皇を即位させ北朝を再建しました。