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1391年六分一殿(ろくぶのいちどの)と呼ばれていた山陰地方の守護が起こした反乱は?

1391年山陰地方を中心に大きな勢力を持っていた守護が幕府の兆発にのり挙兵します。この事件を何と呼んでいるでしょう?

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明徳の乱(めいとくのらん)です。清和源氏新田氏の一族である山名氏は、室町時代になると丹波、丹後、因幡、伯耆、美作、紀伊、和泉、但馬、備後、出雲、山城11カ国、隠岐を含めると12カ国の守護となります。日本(66カ国)の六分の一を領有したので六分一殿(ろくぶのいちどの)と呼ばれていました。大きな勢力を持つようになった山名氏の力を削ぐため、3代将軍足利義満は家督争いに介入します。これに憤慨した山名氏清(やまなうじきよ)は兄 義理(よしただ・よしまさ)と甥 満幸(みつゆき)とともに挙兵して京へ進軍を開始。義満は幕府軍を率いてこれを迎え撃ち激しい戦いが行われますが、氏清が討死したことで山名軍は敗走し幕府側の勝利となりました。乱後山名氏の領地は但馬、因幡、伯耆の3カ国に減らされました。