1441年に起きた一揆は?
1441年6代将軍足利義教暗殺後に起こった一揆の名称を答えてください。
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嘉吉の徳政一揆もしくは嘉吉の土一揆(つちいっき、どいっき)です。
嘉吉の徳政一揆(かきつのとくせいいっき)・・・1441年6代将軍足利義教が赤松満祐によって暗殺されると、「代始めの徳政」を求めて近江国の馬借たちが一揆を起こします。
この一揆は近江守護六角氏が徳政を認めたことでおさまりますが、一揆は山城国にも広がり、地侍たちの指導で数万人規模になったとされています。幕府は鎮圧に乗り出しますが、権力争いや意見の対立もありうまくいきませんでした。
管領の細川持之は山城一国平均の徳政令(嘉吉の徳政令)を発布して事態の収拾をはかったのです。山城一国平均とは山城国内において一律に適用するという意味です。
正長の徳政一揆では、幕府は徳政を認めなかったのですが、嘉吉の一揆では一転して徳政を認める結果となります。これにより幕府の権威は失墜し、各地で一期が頻発することになったのです。