長屋王(ながやおう)です。
長屋王は天武天皇の孫で、妻は元正天皇の妹という血筋から、元正天皇の治世において重要な役割を担うようになります。
政界の実力者藤原不比等が720年に死去すると、右大臣に任命され勢力を拡大します。
さらに聖武天皇が即位すると最高位である左大臣にまで昇りつめますが、光明子を皇后に推す藤原四兄弟と対立関係となります。
729年謀反の嫌疑がかけられ、藤原宇合の軍勢に邸宅を囲まれると、長屋王は自殺をして一族は滅亡しました。この政変を長屋王の変といいます。
1988年 長屋王の邸宅跡から数万点にもおよぶ木簡が発見され、当時の貴族の生活を知ることができる重要な史料となりました。