第二次近衛内閣が行ったフランス領インドシナへの進軍は?
1940年第二次近衛文麿内閣はフランス領インドシナへの進駐を行います。この進駐の名称を答えてください。
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北部仏印進駐(ほくぶふついんしんちゅう)です。
日中戦争によりアメリカは日米通商航海条約を破棄し日本への経済圧力を強めます。日本では戦争を継続するための軍需物資の確保が大きな問題となりました。
1940年5月フランスに侵攻したドイツはわずか1カ月半でフランスを占領下に置きます。これを機に第二次近衛内閣は軍需物資の確保と援蒋ルートの遮断を目的に北部仏印に軍を進めました(南進)
援蒋ルートはアメリカ、イギリスなどが蒋介石(中国国民政府)へ援助物資を送るための輸送ルートのことです。
北部仏印はフランスが領有していたインドシナ半島東部(現在のベトナム、カンボジア、ラオス)のことです。
南進は東南アジア地域に日本の勢力を広げるための侵攻です。