第二次近衛内閣総辞職で排除された人物は?1941年7月第二次近衛内閣は総辞職しますが、この総辞職はある人物を内閣から排除するためのものでした。ある人物の名前を答えてください。 答えはこちら 松岡洋右(まつおかようすけ)です。 第二次近衛内閣の外相 松岡洋右は1941年4月ソ連と日ソ中立条約を締結します。 日独伊三国同盟にソ連を引き込むことでアメリカにプレッシャーをかけ日米交渉を有利に進めようとしますが、1941年6月ドイツが独ソ不可侵条約を破りソ連に奇襲攻撃をかけ独ソ戦が開戦してしまうのです。 これに驚いた日本は御前会議を開き軍部が主張する南進を進める一方で、アメリカとの戦争を回避するため日米交渉は継続となります。 近衛も松岡もアメリカとの戦争は回避したいという考えでしたが、あくまで強気で交渉する松岡に対し、それでは決裂すると考えた近衛は松岡を排除すべく内閣を総辞職しました。