弥生時代一問一答・全問題答えをクリック(タップ)すると表示/非表示を切り替えることができます。問題文をクリック(タップ)すると解説付きページが別ウィンドウで表示されます。問題答え弥生土器(やよいどき)の特徴は?縄文土器よりも薄く赤褐色(せきかっしょく)をした土器脚がついている弥生土器の名称は?高坏(たかつき)弥生時代に北海道で繁栄した鉄器文化は?続縄文文化(ぞくじょうもんぶんか)弥生時代に沖縄で繁栄した漁労を中心とする文化は?貝塚文化(かいづかぶんか)弥生時代前期から中期にかけて使用された水田は?湿田(しつでん)弥生時代後期から広まった灌漑設備を持った水田は?乾田(かんでん)弥生時代に行われた、米の収穫時に稲の穂先をだけを刈り取る方法は?穂首刈り(ほくびがり)稲の穂先を刈るときに使われた石器は?石包丁(いしぼうちょう)穀物を保管した倉庫は?高床倉庫(たかゆかそうこ)弥生時代に使用された鉄製農具は?鉄鎌(てつがま)、鉄鍬(てつくわ)鉄鋤(てつすき)弥生時代に使用された木臼(きうす)と竪杵(たてぎね)の用途は?穀物を脱穀(だっこく)するときの農具静岡県伊豆の国市にある弥生時代の遺跡は?山木遺跡(やまきいせき)静岡県静岡市にある弥生時代の遺跡は?登呂遺跡(とろいせき)佐賀県神埼郡にある弥生時代の遺跡名は?吉野ケ里遺跡(よしのがりいせき)弥生時代 山腹や丘陵につくられた集落は? 高地性集落(こうちせいしゅうらく)濠(ごう)や土塁(どるい)で周囲を囲った集落は?環濠集落(がんごうしゅうらく)弥生時代に使用された銅と錫(すず)でできた金属器は?青銅器(せいどいうき)青銅製の鏡は?銅鏡(どうきょう)釣鐘の形をした青銅器(せいどうき)は?銅鐸(どうたく)甕(かめ)を使った埋葬方法は?甕棺墓(かめかんぼ)自然石を支柱にした墓は?支石墓(しせきぼ)弥生時代に広まった盛土をした墓は?墳丘墓(ふんきゅうぼ)周囲に溝をめぐらした墳墓(ふんぼ)は?方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)弥生時代 中国や朝鮮では日本を何と呼んでいたでしょう?倭(わ)武帝が朝鮮に設置した4郡のうち現在の平壌付近にあった郡は?楽浪郡(らくろうぐん)後漢の光武帝(こうぶてい)から印綬を与えられた国は?奴国(なこく)後漢の光武帝(こうぶてい)から与えられたと思われる金印が発見された場所は?福岡県志賀島(しかのしま)1784年に発見された金印に刻まれていた文字は?漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)西暦107年に倭国王が後漢の皇帝に贈ったものは?生口(せいこう)。生口とは奴隷を意味すると解釈されています後漢書の東夷伝に記載されている2世紀後半に日本で起こった乱は?倭国大乱(わこくたいらん)晋(しん)の陳寿(ちんじゅ)が著した三国時代の正史は?三国志(さんごくし)「魏書」の「東夷伝」に記されている倭人に関する部分は?魏志倭人伝(ぎしわじんでん)邪馬台国が魏に朝貢するときに中継地となった場所は?帯方郡(たいほうぐん)邪馬台国の女王 卑弥呼が魏の皇帝から下賜されたものは?「親魏倭王」「金印」「銅鏡100枚」邪馬台国の南に位置し、邪馬台国と対立していた国は?狗奴国(くなこく)邪馬台国の所在地を巡り論争(邪馬台国論争)がありますが、有力な2つの説とは?畿内説(きないせつ)と九州説(きゅうしゅうせつ)邪馬台国の階級(身分)とは?大人・下戸(たいじん・げこ)卑弥呼の跡を継いだ邪馬台国の女王の名は?壹与(いよ)もしくは台与(とよ)