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地震の恐ろしさを体感しました(1日目)

地震の恐ろしさ、初めて知りました。必死に避難していたので写真は撮れませんでしたが、地震の時の様子をつづってみました。長いので、二部に分けます。


3月11日の15時ごろに地震があり、千葉でもかなり強い揺れが来ました。震源地は宮城県で、マグニチュード8.8だそうです。


千葉は今まであまり強い地震が来たことが無いので、こんなに大きな地震は初めてでとても恐怖でした。


職場の倉庫の棚から物がたくさん落ちてきて、立っていられないほどの揺れで、床にしゃがみこんでしまいました。構内放送は入らず、避難している時にようやく放送が流れました。


一斉に建物の外に避難をし、点呼確認をしてその場に2時間ほど待機していました。その間にも余震が続き、恐怖感はいっそう増しました。職場は海が近いので、津波の心配も出てきました。


地面は地割れをしていたり、液状化でコンクリートがドロドロの状態になってあふれてきたり...。パニックにはなりませんでしたが、心は落ち着かず焦っていました。17時過ぎ頃に解散指示が出ました。


私は職場の女友達と一緒にしばらく駅にいましたが、電車は動かないのでどうやって帰ろうかと必死で考え、とりあえず南船橋まで歩くことにしたのです。


普段あまり運動をしないので良い運動になったのですが、南船橋に着いた頃にはふらふらでした...(2駅歩いたくらいで情けない)


ららぽーとに行こうとしたら電気が真っ暗で誰もいない様子...そりゃそうですよね、きっともう避難した後なのでしょう。


しょうがないので、IKEAに行ってみて助けを求めました。そうしたら、IKEAにいたお客さんたちが近くの中学校に避難していたので、私たちはその列にまぎれて避難することにしたのです。


テレビや新聞でしか避難の様子は知らなかったので、まさか私たちがこういう状況になるとは思ってもいなかった...。


中学校の先生方や生徒さんたちに毛布や食料をもらいました。毛布をもらっても1枚じゃ寒かった。携帯の電池も無かったし、お金も千円しかなかったのでここから動けなかった。まさに避難難民です。


家族に迎えに来てもらおうとメールを打ちましたが、道路があまりにも渋滞していて無理とのこと。ここで友達と泊まる事になったのです。


家族は無事と言うことがわかり、友達も心配してメールをくれたので、少し安心しました。しかし、続く余震には不安ばかりです。私たち大人も不安ですが、子どもや赤ちゃん、お年よりはもっと不安だったのでしょう。


中学生も不安の中で避難してきた私たちに食料や毛布などを配ってくれたり、居場所を提供してくれたり気を遣ってくれたりと、ほんとに感謝です。職場の仲間がいてくれただけでも心強かった。私1人だったらパニックになっていたことでしょう。


夜は毛布にくるまって床に横になりましたが、寒くて床が硬いのでなかなか寝られず、数時間毎に起きてしまった。            (2日目へ話は続く...)