ジャンクワードドットコム・暮らし、生活百科事典

地震の恐ろしさを体感しました(2日目)

朝になり、総武線と京成線は運転を再開したとの情報が入ってきたので、駅に向かうことにしました。帰るときに、パンを1袋もらったので、駅で電車を待っている間に空腹を満たしました。


京成線で千葉駅に向かうことになりました。電車が来たのですが満員で乗れず、4本くらい見送ったのでなかなか帰れず...。


家族には今の居場所と状況を公衆電話から連絡を入れながら、無事だということを伝えました。普段は使わないと思っていた公衆電話もこういうときには役立ちますね。


千葉駅で母親が待っていてくれて、父は車が渋滞していて来られないとのこと。母に会えて安堵感にあふれた。とりあえず京成線で地元まで帰りました。


家族は無事だということ、地元はあまりひどい揺れではなかったとのことなど、色々と話しながら私たち3人は京成の駅から歩いて自宅へ。


同じ千葉でも地域によって、揺れの状況や被害状況などが違うのだということがわかった。私の職場は海が近いから少し被害が大きかったのでしょう。


職場の友達は私の家でしばらく休んで、父と母が車でその子の地元まで送っていきました。私はしばらく寒さや疲れなどが抜けず、しばらく部屋でぐったりしてしまいました。


その後まだ余震がおさまらないので、少しの揺れにも敏感になり、ドキドキと不安になってしまいます...。


今回の地震のほかにも、製油工場の爆発により、有毒ガスを含んだ液体が雨と一緒に降るなどというメールが送られたりもしましたが、あれはどうやらうわさのようです。公式サイトによるとそのような心配は無いとの事で、ホッとしました。


今回の地震で、千葉でも亡くなった方が10人いたそうです。宮城は街が壊滅的で亡くなった方が沢山おられます。ご冥福をお祈りします。人間の力では自然の力には勝てません。しかし何の罪も無い人たちが波にのまれて亡くなったりと、このような状況には胸を痛めるばかりです。


ツイッターでは、海外の方から日本頑張れとの励ましメッセージやイラストがあったり、また、海外アーティストが日本への寄付金を考えてくれたりと、いろいろな方が救いの手を差し伸べてくれているという状況です。


私も母と一緒に義援金寄付をしました。こういう状況の中で、自分のできる事はちっぽけなことかもしれません。でも何も出来ないということはないし、何も出来ないと諦めないでください。何か小さなことでもできる事があるはずです!


日本は無縁社会だとか言われていて自分の殻に閉じこもったり、自分さえよければと思う人が多い傾向にあったと思います。私もそうでした。しかし、この悲惨な地震で日本は失われた絆や、みんなで助け合う力を取り戻せたのではないでしょうか。


中学校での避難生活では、中学生に色々してもらうばかりで地震におびえていたけれど、中学生だってきっと怖かったに違いない。避難してきた私たちに食料と毛布、居場所の提供など色々動いてくれてほんとに助かりました。感謝の気持ちでいっぱいです。


普段は日本は海外に比べたら本当に平和な国だと思います。平和だから、このような悲惨な状況にならないとわからないことも沢山あるのですね。


何かを少し学べた気がします。