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日露戦争

日本史でる順出題率の高い用語
問題 答え
対ロシア政策でイギリスと協力してロシアに対抗しようとする考えは日英同盟論
満州をめぐりロシアと対立していたイギリスと協力して日本の権益を守ろうとする考え
それを主導した人物は桂太郎、小村寿太郎
対ロシア政策でロシアに満州の権益を与えようとする考えは日露協商論(にちろきょうしょうろん)
ロシアに満州の権益を与え日本は韓国の権益を得るという考え「満韓交換論」とも言う
それを主導した人物は伊藤博文、井上馨
対ロシアをめぐる世論で開戦論を唱えた人物は東大七博士(とうだいしちはくし)
東大を中心とする7人の学者
対ロシアをめぐる世論で反戦論を唱えた人物は幸徳秋水(こうとくしゅうすい)
与謝野晶子(よさのあきこ)
堺利彦(さかいとしひこ)
対ロシアをめぐる世論で非戦論を唱えた人物は内村鑑三(うちむらかんぞう)
1902年ロシアに対抗するために締結した軍事同盟は日英同盟協約
同盟締結時の内閣は桂太郎内閣
同盟締結時の外務大臣は小村寿太郎
日露戦争が起こった年は1904年
日本の海軍がロシアのバルチック艦隊を壊滅させた戦いは日本海海戦
その海戦の指揮をした連合艦隊司令長官は東郷平八郎
日露戦争の講和条約の名称はポーツマス条約(1905年締結)
日本の全権は小村寿太郎
ロシアの全権はウィッテ
日本が獲得した租借地は日本は旅順・大連の租借権を獲得した
日本が獲得した鉄道は長春以南の鉄道および付属する権利を得た
日本が獲得した漁業権は日本は沿海州とカムチャッカの漁業権を獲得
日本が獲得した外国に対する指導権は韓国に対する日本の指導・監督権をロシアに認めさせた
講和条約を仲介したアメリカの大統領はセオドア・ルーズベルト(ローズヴェルト)
講和条約後に日本で起こった暴動は日比谷焼き打ち事件
ロシアから賠償金を取れなかったことに憤慨した民衆が起こした暴動