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賤ヶ岳の戦いー北の庄城落城 お市の方自害

柴田勝家
*織田家家老 柴田勝家

本能寺の変で明智光秀の謀反にあい非業の死を遂げた織田信長の敵を討ったのは羽柴秀吉でした。戦闘状態にあった毛利氏と和睦をして、尋常ではない速さで中国地方から引き返し山崎の戦いで明智光秀を撃破したのです。


この功績により織田家の今後を決定する清洲会議で主導権を握った秀吉は、本能寺の変で討ち死にした信忠の嫡男三法師を跡継ぎと決め自分はその後見役に就任します。


信長の三男信孝を推した織田家の筆頭家老だった柴田勝家は煮え湯を飲まされる形となり長浜城を得ることしかできませんでした。秀吉の用意周到な計画に屈服することになった勝家の影響力は急激に低下して織田家中での地位が逆転していきます。


勝家の領地越前は、冬になると雪に覆われ身動きが取れなくことを幸いに、秀吉は信長の葬儀を執り行い自分が後継者であることを世間にアピールするのでした。


着々と勢力を拡大する秀吉に焦りを感じた勝家は雪解けを待ち挙兵します。1583年信孝、滝川一益と連携して秀吉に対抗!軍をすすめ賤ヶ岳で秀吉軍と対峙します。


秀吉は守りの堅い柴田軍をおびきだすために兵を大垣に移動させるのですが、この作戦に柴田軍の佐久間盛政がまんまと引っかかり軍を動かしてしまいます。


秀吉方の中川清秀を破った佐久間盛政はさらに秀吉方の砦を攻めるべく深追いしてしまいます。これに危機感を持った勝家が戻るように伝令をだしますが、大垣に移動していた秀吉軍がもの凄い速さで軍を引き返し佐久間盛政隊を撃破!総崩れとなった柴田勝家は北の庄に引き返します。


敗軍の将となった勝家の元からは離反者が相次ぎ北の庄城にはわずかばかりの兵が残るのみとなります。秀吉軍に包囲された勝家は死を覚悟してお市の方に落ちのびるよう説得をしますが、秀吉の庇護を受けることに抵抗するお市の方は勝家とともに死ぬ覚悟を決めていました。


一緒に居たいと願う茶々や初を説得して三姉妹を秀吉のもとに送りだしたお市の方は、勝家や残った家臣らと別れの酒宴を開いたのち城に火を放ち業火の中自刃して果てました。