江の最初の夫・佐治一成
北の庄城落城により母お市の方と義父柴田勝家を失った茶々、初、江の三姉妹は敵将であった羽柴秀吉の庇護を受けることになります。
当時の三姉妹は、長女の茶々が16歳、次女の初は15歳、三女の江は11歳になっていて、秀吉にとっても信長の姪である三姉妹は、政略の道具として大いに活用することができると考えたのでしょう。
北の庄城落城の翌年、早くも三女の江に縁談の話が持ち上がります。相手は尾張大野城城主佐治一成という人物で、三姉妹とは従姉妹にあたります。
佐治家は伊勢水軍の一角を担う家柄で、江の母であるお市の方の姉(一説には妹)のお犬の方が佐治家に嫁ぎ生まれた子が一成でした。この佐治家の水軍力を手に入れるために秀吉は江を嫁がせたとするのが通説になっています。
また佐治家は織田信長の次男織田信雄の家臣だったことから、信雄側から江を佐治家に欲しいと要請があり、これを秀吉が承諾したとする説もあります。
江は姉二人と別れて佐治家に嫁ぐことになります。江と一成の生活がどのようなものであったか資料が存在しないので確かめるすべはありません。ただこの結婚生活はそう長く続きませんでした。
1584年に秀吉と織田信雄・徳川家康との間に戦が起こります。いわゆる小牧長久手の戦いと呼ばれるもので、信雄の家臣であった一成は秀吉と対立することになるのです。
これに激怒したのが秀吉です!せっかく江を嫁がせ水軍を手に入れたと思ったのですが、肝心の一成が信雄・家康軍にくみしてしまったのです。
秀吉は姉の茶々が病気を患っていると江に手紙を送り、見舞いに来た江をそのまま大坂城に引きとめ、一成と無理やり離縁させてしまうのです。
こうして江の最初の結婚はわずかな期間で終わることになります。