杉文(すぎふみ)は、1843年(1845年説もあり)長州藩士(萩藩士)であった父 杉百合之助(すぎゆりのすけ)と母 杉滝(すぎたき)の四女として萩で誕生します。兄 寅次郎(松陰)は1830年生まれですから、13歳(15歳)年下ということになります。
文は7人兄弟の下から2番目です(兄の梅太郎、寅次郎、姉の千代、寿、艶、弟の敏三郎)三女の艶(つや)は早世し、弟の敏三郎は耳に障害を持っていました。
文(ふみ)が生まれた当時、兄 寅次郎(吉田松陰)はすでに吉田家の養子になっていたので、一緒に暮らすことはありませんでした。
文の生家杉家は、長州藩(萩藩)の下士の家柄で禄高はわずか26石という薄給であったため、農業を行い生計を立てていました。
極貧生活ながらも、杉家の人々は勤勉であったようです。父 百合之助も百合之助の弟二人(大助、文之進)も大変な読書家で生活が苦しい中でも、本を買ってきて勉学に励んだのです。
その甲斐あって、学問の才が認められた大助は吉田家、文之進は玉木家の養子に迎えられます。叔父の文之進は「松下村塾」を開いた人物で、塾生に対しスパルタ教育を行ったため大変恐れられていました。
甥の寅次郎(松陰)に対しても時には体罰与えるなど厳しい態度で接します。そんな鬼教師の文之進ですが、文に対してはとても優しかったようです。
かわいくて仕方がなかったのでしょうか、文之進は自分の名前の一字「文」を姪っ子に付けます。文(ふみ)という名前は叔父からもらったものだったのです。
幼いころの文に関しては、史料がほとんどないことから、どのような幼少期を過ごしたのかわかっていませんが、このような家庭環境であったことから、幼いころから読書に励み、教養を身に着けていったと思われます。
*杉文(すぎふみ)系図