文(ふみ)の母 杉滝(すぎたき)
*晩年の杉滝(すぎたき)
杉滝(すぎたきは、1807年 村田右中(むらたうちゅう)の三女として誕生しました。村田家は長州藩毛利家の一門である阿川毛利家の家臣でした。
阿川毛利家は、毛利元就の次男吉川元春の次男である元氏を祖とする一族です。
滝は1826年に、毛利家家臣杉百合之助に嫁ぎます。毛利の直臣である杉家と陪臣である村田家では家格のつり合いがとれないため、長州藩士児玉家の養女となり百合之助と結婚したのです。
滝が嫁いだ頃の杉家には、夫の百合之助の他に、姑と百合之助の弟二人(大助、文之進)が同居していました。さらに、姑の妹や伯母など多いときには10人以上が同居をし、その面倒をすべて滝が見ていたそうです。
厳格で無口な性格の百合之助とは反対に、滝は明るく笑顔を絶やさない人物であったそうです。
百合之助との間に三男四女(梅太郎、寅次郎、敏三郎、千代、寿、艶、文)をもうけ、次男の松陰が松下村塾を開くと、塾生たちの世話係となり塾の運営に貢献しました。
その松陰が幕府の老中間部詮勝(まなべあきかつ)の暗殺を企てた罪で投獄され、さらに江戸送りが決まります。
江戸に護送される前に杉家に帰ってきた松陰に対し、滝は「もう一度あなたの元気な顔がみたい」といい、松陰の身を案じます。しかし、滝の願いもむなしく松陰は処刑されてしまうのです。
松陰死後も滝は家族を支え、晩年には文の再婚相手となった楫取素彦(かとりもとひこ)の活躍もあり、皇室から恩賞を受けています。1890年84歳で他界しました。