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文の姉 杉寿(すぎひさ)・楫取希子(かとりひさこ)

杉寿(すぎひさ)は、1839年に長門国萩松本村で誕生します。長州藩士である父 杉百合之助(すぎゆりのすけ)と母 滝(たき)の四番目の子供で、兄に梅太郎と寅次郎(吉田松陰)、弟に敏三郎、姉に千代、妹に艶、文がいます。


寅次郎(吉田松陰)より9歳下、文より、4歳上になります。寿は、姉の千代や妹の文よりも活発で勝気な性格であったようです。


寿は、15歳で藩校明倫館の儒官(儒学を研究する学者)である小田村伊之助(おだむらいのすけ)と結婚します。


寿の叔父玉木文之進と松陰の計らいでこの縁組が進められたようです。寿と小田村伊之助との結婚を知った松陰は、兄の梅太郎に送った手紙の中で「とても満足しています」と記しています。


翌年に長男篤太郎(とくたろう)が誕生すると、松陰は寿に手紙を送ります。手紙の中で松陰は、男勝りであった寿の性格を諌め「篤太郎は心が広くやさしい子に育てるように助言し、学問で身を立てることを希望します」と記しています。寿と伊之助の間には次男久米次郎も誕生しました。


伊之助は明倫館の講師として藩士の育成にあたりますが、やがて藩主毛利敬親の側近に取り立てられ藩政に関与していきます。


長州藩では、倒幕を推し進める正義派と、幕府への恭順を唱える俗論派との対立が激しくなり、俗論派が権力を掌握すると、松陰の義理の弟である伊之助は捕えられ野山獄に投獄されます。


死を覚悟した伊之助は寿に手紙を送ります。寿は文とともに野山獄を訪れ夫を励ますのです。高杉晋作の挙兵により正義派が再び権力を掌握すると、伊之助も釈放されます。


兄松陰は30歳の若さで刑死しますが、夫伊之助は動乱の幕末を生き延び、明治新政府では群馬県令に就任します。寿は名を希子と改め、公務で忙しく活動する夫を支えていきますが、1881年43歳で病没しました。