吉田松陰の師 山田宇右衛門(やまだうえもん)と山田亦助(やまだまたすけ)
幼少期から青年期にかけて吉田松陰の学問や人格形成に影響を与えた人物は、父百合之助と叔父の文之進ですが、この二人以外にも優れた人たちが松陰を指導しました。
山田宇右衛門(やまだうえもん)は、松陰の叔父であり義父であった大助の弟子で、文之進が藩の仕事で多忙になっていたときに、かわりに松陰を指導した人物です。
宇右衛門は16歳の松陰に世界の情勢を記した書物を与えます。さらに、世界地図を見せ日本の周辺国の世情や政治情勢を松陰に教えます。
宇右衛門は萩から出たことのなかった松陰の目を世界に向けさせ、世界の中の日本を意識させたのです。
さらに宇右衛門は、西洋事情に明るく、優れた海防論を持つ山田亦助(やまだまたすけ)のもとで学ぶことを松陰に勧めます。
山田亦助は長沼流兵学の師範で、長州藩の藩政改革をおこなった村田清風の甥であり、のちに松下村塾の門下生となり戊辰戦争で活躍した山田顕義(やまだあきよし)の叔父にあたる人物です。
亦助は世界地図を示しながら海防の重要性を松陰に説きます。四方を海に囲まれた日本は、いつ何時海から攻め込まれるかわからない。
しかしながら幕府の海岸防備は、ほぼ無防備状態であり、このままでは日本の防衛が危ないことを松陰に教えます。
百合之助と文之進から山鹿流兵学を学び、山田宇右衛門と山田亦助から世界の情勢と海防論を学んだ松陰の関心は海外(西洋)へと向けられるようになったのです。