長州藩(萩藩)には、江戸から明治まで14人の藩主が存在しました。
藩祖 毛利輝元(もうりてるもと)
初代藩主 毛利秀就(もうりひでなり)
2代藩主 毛利綱広(もうりつなひろ)
3代藩主 毛利吉就(もうりよしなり)
4代藩主 毛利吉広(もうりよしひろ
5代藩主 毛利吉元(もうりよしもと)
6代藩主 毛利宗広(もうりむねひろ)
7代藩主 毛利重就(もうりしげたか)
8代藩主 毛利治親(もうりはるちか)
9代藩主 毛利斉房(もうりなりふさ)
10代藩主 毛利斉熙(もうりなりひろ)
11代藩主 毛利斉元(もうりなりもと)
12代藩主 毛利斉広(もうりなりとう)
13代藩主 毛利敬親(もうりたかちか)
14代藩主 毛利元徳(もうりもとのり)
毛利秀就・・・藩祖輝元の長男。家康の次男結城秀康(越前松平家)の娘 喜佐姫(きさひめ)を正室に迎える。
毛利綱広・・・秀就の四男。正室は福井藩(越前松平家)3代藩主松平忠昌の娘千姫。
毛利吉就・・・綱広の長男。正室は若狭小浜藩3代藩主酒井忠隆の娘亀姫。27歳で急死、子がないため異母弟吉広が養嗣子となる。
毛利吉広・・・2代藩主綱広の次男。3代藩主吉就の異母弟。吉就が急死したため4代藩主となる。正室は鷹司家の小石姫。35歳で急死し子がないため長府藩の元倚(もとより)を養嗣子とする。
毛利吉元・・・長府藩3代藩主毛利綱元(もうりつなもと)の長男。4代藩主吉広の養嗣子となり5代藩主となる。正室は備前岡山藩2代藩主池田綱政(いけだつなまさ)の娘品子。5代将軍徳川綱吉から偏諱を賜い元倚から吉元に改名する。支藩である徳山藩と領地を巡り争いを起こす(万役山事件 まんにゃくやまじけん)
毛利宗広・・・吉元の五男。兄が早世したため6代藩主となる。正室は越前福井藩9代藩主松平宗昌(まつだいらむねまさ)の娘勝姫。勝姫との間に子ができず35歳で死去したため、長府藩から毛利重就を末期養子として迎える。
毛利重就・・・長府藩第6代藩主毛利 匡広(もうりまさひろ)の十男で、長府藩8代藩主となる。正妻は筑後柳河藩5代藩主立花貞俶(たちばなさだよし)の娘。宗家の宗広が急死したため長州藩7代藩主となる。財政改革を行い長州藩中興の祖と呼ばれる。
毛利治親・・・重就の四男。正室は御三卿田安家初代宗武の娘。名君と言われた父の跡を継ぎ藩主となるもわずか2年で死去。
毛利斉房・・・治親の長男。正妻は有栖川宮織仁親王(ありすがわのみやおりひとしんのう)の娘。28歳の若さで死去。
毛利斉熙・・・斉房の弟。正妻は因幡鳥取藩6代藩主池田治道(いけだはるみち)の娘。実子が幼かったため従妹の斉元を養子とする。
毛利斉元・・・重就の六男親著の長男。正妻は斉熙の娘由美子。永代家老福原家の養子となっていたが、従兄弟である10代藩主斉熙の要請で斉熙の養子となり11代藩主となる。
毛利斉広・・・斉熙の次男。正妻は11代将軍家斉の娘和姫。斉元の死後家督を継ぐも1か月足らずで急死。在籍期間最短の長州藩主。
毛利敬親・・・斉元の長男。斉広が急死したため13代藩主となる。正妻は斉広の長女都美子。村田清風を登用して改革を行わせる。正義派と俗論派に分かれた家臣団を適宜使い分け動乱の幕末を乗り切る。
毛利元徳・・・徳山藩8代藩主毛利広鎮(もうりひろしげ)の十男。敬親の養子となり14代藩主となる。正妻は長府藩12代藩主毛利元運(もうりもとゆき)の二女安子。廃藩置県後に公爵、貴族院議員となる。