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平清盛誕生

平清盛
*平清盛坐像

平清盛は1118年平忠盛の子として誕生します。清盛の一族は桓武平氏の系統に属し、伊勢で勢力を持っていたことから伊勢平氏と呼ばれました。


清盛の誕生した当時は、天皇と貴族が国を治め清盛たち武家は皇室や貴族の身辺を警護する役を担っていましたが、当時の武士は傭兵的な存在であり身分がとても低かったのです。


清盛の祖父正盛が白河上皇の身辺警護をする北面の武士に任命されます。八幡太郎義家の子である源義親が乱を起こすとこれを鎮圧し、上皇の信頼を得ることになり、さらに正盛の子忠盛も海賊退治で武名を上げ備前の守、但馬の守を歴任し昇殿を許されるまで出世をしたのです。


忠盛の子である清盛は12歳で従五位下となり、その後も従四位下、中務大輔と順調に昇進していきます。忠盛生存中は父の影に隠れこれといった活躍をしていない清盛ですが、忠盛が1153年に死去すると、36歳で平家一門の棟梁となります。


1156年保元の乱、1159年平治の乱において父から受継いだ才能をいかんなく発揮して、ライバルである源氏を追い落とし平氏全盛期を築いていくのです。