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白河上皇と院政

平安時代は天皇を中心とする貴族が政治を行っていました。貴族の中でも藤原氏は天皇の外戚として巨大な権力を持っていました。


外戚とは、自らの娘を天皇の女御とし、生まれた子供を天皇にするシステムのことです。藤原氏は代々この外戚になることで政治力を保持してきたのです。


白河天皇は藤原氏の影響力を抑えるため幼い堀河天皇に皇位を譲り自らは上皇となり天皇を補佐する仕組みをつくりあげました。これが院政です。


白河上皇が院庁(役所)で政務を執るようになると、院庁の重要性が高まり多くの役人が勤務するようになりました。院庁で働く役人を院の近臣(院司)と呼び、彼らが発行する院宣(院庁下文)が政治を動かすようになります。


上皇は日本各地に広大な知行国や荘園を領していました。これら領地の管理や役人の身辺を警護させるために北面の武士を採用し武家を傭兵として雇ったのです。清盛の祖父正盛がこの北面の武士となったことで伊勢平氏が政治の世界に踏み込むきっかけとなりました。


これまで天皇と天皇の側近の公家(藤原氏)が政治を動かしていましたが、院政により院の近臣や武家の力が台頭し保元の乱、平治の乱を経て武家の時代へ移っていきます。


院政のもとで白河上皇は40年以上にわたり権力を握り、白河上皇崩御の後も鳥羽上皇、後白河上皇、後鳥羽上皇が院政を敷くことになります。