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平清盛の兄弟

平清盛を産んだ母は出産後数年で病没したため清盛には母を同じくする兄弟がいません。


父 忠盛が他の女性に産ませた男子のうち知られているのは池禅尼の子である家盛と頼盛、藤原家隆の娘を母に持つ教盛、藤原為忠の娘を母に持つ忠度、源信雅の娘を母に持つ経盛です。


経盛の子供が笛の名手で一ノ谷の戦いで熊谷次郎直実に討たれた敦盛です。妹も何人かいたようですが詳しい記録が残っていません。


池禅尼の子である家盛は家督相続で清盛の最大のライバルでしたが若くして病没してしまいます。家盛の弟 頼盛は年齢が離れていたため忠盛の後継者候補にはなれず、家盛の死によって清盛の家督相続が確実になりました。


平家の中にあって清盛、重盛に次ぐ存在であった頼盛ですが、平家の都落ちに帯同せず独自の行動をとり鎌倉で頼朝と対面します。頼朝は自分の命を救ってくれた池禅尼の子である頼盛を優遇して朝廷とのつなぎ役とします。

結束力の強い清盛の一族にあって源氏方について生き延びた頼盛ですが、平家滅亡後は出家して政治の世界から引退し54歳で病没したと伝えられています。


忠度は一ノ谷の戦いで討死、教盛と経盛は壇ノ浦で入水して果てました。