殿上闇討ち事件
武家として初めて内裏への昇殿(源義家は院の昇殿)を許された平忠盛ですが、その異例の出世を妬む公家たちの標的にされます。
当時の貴族社会では、新たに昇殿を許された新参者に対してイタズラや嫌がらせをする風習がありました。大嘗祭、新嘗祭の際に開かれる豊明節会(とよのあかりのせちえ)と呼ばれる宴席でこれらの嫌がらせが行われたらしく、古参の公家たちは忠盛に恥辱を与えようと準備をしていたのです。
情報を事前につかんでいた忠盛は豊明節会に木刀を差し、さらに家臣 平家貞を庭に待機させて公家たちを牽制しました。木刀を本物の刀だと勘違いした公家たちは忠盛に何もできず計画は実行されませんでした。
腹の虫がおさまらない公家たちは後日 豊明節会に帯刀して参加したことを問題にして官位の剥奪を鳥羽上皇に訴えますが、腰に差していたのは木刀で本物の刀は事前に朝廷内に預けていたことが判明します。
鳥羽上皇は忠盛の用意周到さを称え罰することはありませんでした。