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平忠度(薩摩守 忠度)

平忠盛の六男で母は藤原為忠の娘、母違いの兄に清盛、家盛、経盛、教盛、頼盛がいます。子供は忠行。


兄、清盛とは26歳も歳が離れていて、清盛の嫡男重盛より4歳年下になります。忠度は文武両道に秀でた武将として知られ、宇治平等院の戦い、墨俣川の戦いで戦功をあげました。


歌人としての才能があり、藤原俊成に師事しています。都落ちの際には自ら読んだ歌をおさめた巻物を俊成に託し、その中の一首が「千載和歌集」に詠み人知らず(平氏は朝敵となっていたため忠度の名を記さなかった) として掲載されています。


一ノ谷の戦いでは、源氏方の岡部忠澄と戦い組み伏せ首をとろうとしますが、背後から岡部の郎党に右腕を斬り落とされてしまいます。死を覚悟した忠度はその場に座り岡部に首を討たせて41歳の生涯を閉じるのです。