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平宗盛(たいらのむねもり)

平宗盛は、平清盛の三男で母は平時子、母を同じくする兄弟に知盛、重衡、徳子がいます。子供は清宗、能宗の他三人。


宗盛は清盛の三男であったことから、家督を継ぐ身ではなかったのでが、時子の長男ということで幼いころから優遇され、わずか11歳で従五位下に叙されています。二男 基盛が早世し、家督を継ぐべき嫡男 重盛も42歳で病死したため平家一門の棟梁となったのです。


清盛は重盛の嫡男維盛ではなく、時子の子である宗盛に家督を継がせます。このことで、重盛の一族(小松内大臣家)との間に微妙な亀裂が入り一族の結束が乱れる要因となったのです。


1181年に父清盛が病死すると34歳で家督を継ぎ平家一門を率いることになります。しかし、源氏の勢力が拡大する中でこれといった策を打ち出すことができず、都落ちをして各地で転戦するも勢いを挽回することができず、とうとう壇ノ浦で滅亡の憂き目にあいます。


母 時子や一族の者たちが壇ノ浦で入水して果てるのを茫然と眺め、自ら入水することも自害することもぜず、見かねた家臣が海に突き落としたとされています。


しかし、宗盛は泳ぎが達者であったため海底に沈むことができず、息子 清宗とともに源氏方に囚われてしまうのです。


鎌倉に送られ頼朝の前に引き出された宗盛は助命を嘆願しますが受け入れられず、京に戻される途中の近江で斬られ39歳の生涯を閉じます。息子たちもすべて処刑され宗盛と清宗の首は京に晒されるのです。