平時子(清盛の継室)・・・壇ノ浦で入水
ー清盛の兄弟ー
家盛・・・病死
経盛・・・壇ノ浦で入水
教盛・・・壇ノ浦で入水
頼盛・・・都落ちには帯同せず頼朝の庇護を受け生き延びる。壇ノ浦で平家が滅亡した翌年に病死
忠度・・・一ノ谷の戦いで討死
ー清盛の子供ー
重盛・・・病死
基盛・・・病死
宗盛・・・壇ノ浦で入水するも救出されたのち斬首
知盛・・・壇ノ浦で入水
重衡・・・一ノ谷の戦いで捕虜となりその後南都の僧侶の手にかかり木津川で斬首
徳子・・・壇ノ浦で入水するも救出される。髪をおろし尼となり一族の菩提を弔いながら寂光院でその生涯を終える。
ー清盛の孫ー
維盛(重盛の子)・・・那智の沖で入水
資盛(重盛の子)・・・壇ノ浦で入水
清経(重盛の子)・・・柳浦で入水
有盛(重盛の子)・・・壇ノ浦で入水
清宗(宗盛の子)・・・壇ノ浦で入水するも救出されたのち斬首
能宗(宗盛の子)・・・壇ノ浦で入水するも救出されたのち斬首
知章(知盛の子)・・・一ノ谷の戦いで父の身代わりとなり討死
安徳天皇(徳子の子)・・・壇ノ浦で時子(二位尼)とともに入水
六代(維盛の子、清盛の曾孫)・・・頼朝と親交のあった文覚上人の助命嘆願により一命をとりとめ僧侶となるが、頼朝の死後27歳のときに処刑される
ー清盛の甥ー
経正(経盛の子)・・・一ノ谷の戦いで自害
経俊(経盛の子)・・・一ノ谷の戦いで討死
敦盛(経盛の子)・・・一ノ谷の戦いで討死
通盛(教盛の子)・・・一ノ谷の戦いで討死
教経(教盛の子)・・・壇ノ浦の戦いで入水(一ノ谷の戦いで討死との説もあり)
保盛(頼盛の子)・・・父頼盛とともに頼朝の庇護を受け生き延びる。
為盛(頼盛の子)・・・倶利伽羅峠の戦いで討死したとする説と父や兄とともに頼朝の庇護を受け生き延びたとする説がある