遠江の国人領主であった井伊氏の居城といわれているのが井伊谷城(いいのやじょう)です。井伊谷(現在の静岡県浜松市北区)にはもうひとつ三岳城(みたけじょう)があります。
井伊谷城は居住場所(館 やかた)として使用されていたようです。平時は井伊谷城で過ごし、戦時になると三岳城に移動して戦ったと考えられています。
この両城以外にも大平城(おいだいらじょう)、千頭ヶ峰城(せんとうがみねじょう)、鴨江城(かもえじょう)などの支城を持っていました。
南北朝の動乱期に井伊氏は南朝側につき、北朝側の足利氏と敵対関係になります。井伊氏は足利氏の一門である今川氏と三方が原で戦ったことが史料に残されています。
井伊氏は後醍醐天皇の皇子 宗良親王を三岳城に迎え入れ抵抗を続けますが、1339年足利勢の高師泰(こうのもろやす)、仁木義長(にきよしなが)、高師兼(こうのもろかね)軍が領内に攻め込んできました。
大軍の攻撃を受けた鴨江城と千頭ヶ峰城は落城!
井伊氏は三岳城に籠城してなおも抵抗を続けますが、翌年になると三岳城と大平城も落とされ、力尽きた井伊氏は北朝方に降伏をしたのです。
室町時代~戦国時代にかけて、井伊氏は遠江の守護斯波氏や今川氏の支配を受け何とか生き延びてきました。
大きな勢力の下でひたすら忍耐を強いられた井伊氏が飛躍するのは、直親の子虎松(とらまつ)が徳川家康に仕えてからのことです。